2010年5月4日火曜日

新聞各紙は一面コラムを署名入りにせよ

ある友人が新聞について「署名なしの記事ばっかで、一番風刺の利いてるのが堂々と名前出してるしりあがり寿の漫画とかじゃどうしようもないじゃん」と言った。ちょっと話がねじれてる気もするが、確かにそういうところもある。しりあがり「地球防衛家のヒトビト」(朝日新聞夕刊)は、現在の新聞4コマの中で最も風刺を試みている漫画だろう。風刺画なら毎日新聞の西村晃一だ。毎回何らかのメッセージを感じる。強度がある。

もちろん記事は風刺ではないし、絵と文章とでは訴求力が異なることもあるだろう。それでも、読み終えて一番印象に残ったのが漫画だった、という読者がいることに新聞記者は危機感を持つべきだ。新聞の主役は我々のはずだ、という自負があっていい。

冒頭の発言から、署名についても考えてみる。4コマ漫画には必ず作者名が記してある。風刺画にも必ず書いてある。そうしたことを気にして新聞を読んでいると、ちょっとした挿絵にもたいてい署名があることに気づく。それに比すれば頻度は低いが、写真にも撮影者の名前が付されている。投書欄など、ほぼ100%「署名記事」である※。となると、新聞の中で一番名前を出さないのが新聞記者ということになる。矛盾ではないか。考えようによっては差別でさえある。

※例外は人生相談その他。事情が事情だから仕方ない。

やはり署名はあった方が良い。以前どんな記事を書いていた記者かが念頭にあれば、読み方が多少変わってくる。特に政治面など、名前を出すと「ヤバい」記事もあるだろう。そうしたものは無署名で良いと思う。ただしこの場合も署名記事が普通という状態にしておいた方が効果的だ。であれば無署名記事は「ヤバいです」というメッセージになるし、読者側はどのあたりが「アウト」なのか考えながら読めばよい。

日本の新聞でも、毎日新聞のように署名記事を増やしているものもある。例えば今日(5月4日)の朝刊の一面は、特集※とコラム(余録)を除いて全て署名記事だ。それで何か問題が生じているのだろうか。どうしたら日本の新聞は署名記事を増やしてくれるのだろう。考えてみると、天声人語を始めとして一面コラムは各紙「顔」にしているのに無署名なのは象徴的である。この点は毎日も変わらない。一面コラムを全て署名入りにしてしまえ。これでどうだろう。

※特集は連載終了時に「誰々が担当しました」と出る。しかし後でなくても良かろうとは思う。

2010年5月3日月曜日

最近見つけた新聞の悪文

以下は、最近読んだ中では一番明白に誤りだと感じた文章。5月2日の讀賣新聞に載った『大平正芳全著作集1』の書評冒頭の一文である。

大平正芳全著作集1/茜色の空(評者:橋本五郎)
多くの著作を物した政治家はいた。中曽根康弘氏はその例外的な存在である。しかし、「全著作集」と銘打って江湖に問うのは前代未聞だろう。

筆者の念頭に「一般の政治家<中曽根<大平」という図式があるのは分かるが、ならば「例外」は誤りだ。「しかし」もこのままでは具合が悪い。一番簡単な解決策は「中曽根」以下の一文を削ってしまうこと。これが挿入されているせいで文がねじれている。或いは訂正するならば

「多くの著作を物した政治家はいた。中でも別格の、中曽根康弘氏のような存在もある。しかし、それでも「全著作集」と銘打って江湖に問うのは前代未聞だろう」

とでもしなければならない。評者の橋本は、同紙の記者としては唯一書評委員となっているが、この人選には些か疑問を感じる。ただ、野中尚人先生は彼の著書『範は歴史にあり』(藤原書店)を楽しくお読みになったようだ(書評)。上に引用した悪文はたまたま、ということなのだろうか。


次も間違い。少々話題を呼んだ、韓国人男性が子ども手当を 554人分申請したと報じた記事である。

子ども手当:韓国人男性が554人分申請(2010年4月24日毎日新聞、鈴木直)
今回のようなケースについては、国会審議で野党から問題点として指摘されていた。手当の支給要件は(1)親など養育者が日本国内に居住している(2)子どもを保護・監督し、生活費などを賄っている--の2点だけ。母国に子どもを残してきた外国人にも支給されるうえ、人数制限もなく、機械的な線引きが難しいためだ。

「なく」が誤り。「ないのは」としないと、「外国人にも支給される」と「人数制限もなく」を受ける言葉が「ため」になってしまう。「外国人〜」と「人数制限〜」は問題点であって支給用件が上のようになっている理由ではないので、「ため」で受けるのは間違いだ。

鈴木記者は、以前1面か2面で「おどろおどろしい」という言葉を用いたことがあった※。新聞で使うには強い表現である。その記事では、残念なことに何がおどろおどろしいのか今ひとつピンとこなかったのだが、ともあれ、新聞の決まりきった言い回しを打破せんとして試行錯誤しているのかな、と思っていた。しかし上の例を見ると、単に言葉遣いに若干拙いところがあるだけなのかも知れない。

「公共工事の「個所付け」で紛糾」2010年2月5日


最後に、誤りではないが紋切型と感じた文例を挙げる。

密約文書破棄(その2止) 進まぬ「徹底調査」(2010年4月26日毎日新聞東京朝刊、中川佳昭・中澤雄大)
60年安保条約改定時の核持ち込み密約、69年の沖縄返還を巡る核再持ち込み密約の当事者は、アメリカ局長、事務次官、駐米大使を歴任した父・文彦氏。父が密約を封印し、息子が公開する皮肉な人生の巡り合わせだ。

別に息子が父の秘密を守り通さねばならない義務なんてないんだし、考えようによっては息子がきっちり責任を取ったとも言える。皮肉と解することもできようが、新聞は「皮肉」を安易に用いる傾向がある。ほぼ紋切型と化していると言って良いだろう。厳密に「皮肉」としか言えない場合に限って用いた方が良いのではないか。