アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」を見ながら考えたこと。映画は橋の上で民衆が逃げ惑うシーンから始まる。ナチが侵攻してきたから逃げてきたのだが、今度は反対側からソ連が攻めてきたというのである。
ヨーロッパ諸民族の感情は様々に交錯している。ドイツにはフランスへのコンプレックスがあるし、ロシア人が持つ対独劣等感は反転して「ドイツ女」蔑視という形で文学に表れているように思う。問題のポーランド人の感情は「どっちも嫌い」。チェコ人もそうだろう。日本人はこの感覚を欠く。つい先頃まではアメリカ・ソ連のどちらにつくかが問題だったし、これからは米中の二者択一になっていくのかも知れない。
「どっちも嫌い」という感情は抵抗の精神と連続している。どっちも嫌いだから抵抗するのである。ポーランドはナチにもソ連にも抵抗した。いずれも非道い目に遭ったが。チェコは「プラハの春」が印象的だ。どちらかにつけば良いと考えていれば、都合のいい方に守ってもらうことになるだろう。守ってもらえば抵抗しなくて済む。以上は沖縄の基地問題を考えるのにも有効な視点だと思う。
「カティンの森」は音楽も良い。担当したクシシトフ・ペンデレツキ(1933-)はポーランドの代表的現代作曲家。因みに同国にはヴィトルト・ルトスワフスキ(1913-94)という有名な作曲家もおり、現代音楽の盛んなお国柄である。
かなりの映画館で上映が終了してしまっているが、東京では池袋の新文芸坐で5月6日から公開が始まる。新文芸坐は良い映画館である。館内放送に味がある。下の階はパチンコ店なので、運が良ければパチンコ屋の店員さんがエレベータで案内してくれる。気分は御大尽だ。
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