2010年4月23日金曜日

レコード世代の心情

音楽は形を失った。「形」というのは、例えばレコードなどのことである。私は CD 世代だ。音楽を聴くようになり、しばらくして MD の時代になるのかと思ったらその時期はあっと言う間に過ぎてしまって、今や音楽は配信されるものとなって形を失った。

私はクラシックおたくである。クラシック音楽の CD には解説が付いている。国内盤であれば好きな書き手がライナーノーツを執筆していることを期待し、輸入盤であれば英文を楽しむことは出来ずとも未知の情報がそこに載っていることを期待するのが CD 購入時の楽しみだ。

以上は文字偏重の楽しみ方で、視覚的にはジャケットを眺める楽しみがある。そしてジャケット・デザイナーの創作意欲を掻立てるには、少なくとも LP ジャケット程度の「キャンバス」が必要なのだろう。高橋敏郎『LPジャケット美術館』(2007)のような本はあるが、CDに類書はどれくらいあるのだろうか。クラシックに限らず、定期的に LP のオリジナル・ジャケットが「紙ジャケ」で復刻されているのを見るに、ジャケット界はレコード時代の方が豊穣だったと言って良かろう。

以下に引用するのは、カセット・CD への移行を目の当たりにしたレコード世代の嘆きである。音楽が配信されるものとなった今日に於いて、記録する価値のある歴史的証言と思う。

三浦淳史「レコードの愉しみ方の何分の一かに、ジャケットのディザインがある。ぼくがカセットが好きになれない理由の何分の一かも、ジャケットの十分の一ほどに縮刷された、なさけない画像のせいであるようだ。まして、物理的な、余りにも物理的なコンパクト・ディスクに至っては、ひとかけらの夢もない。」(『レコード芸術別冊 名盤コレクション』1973年、音楽之友社)

※三浦淳史(1913-1997)は音楽評論家。イギリス音楽の第一人者として知られた。また作曲家の伊福部昭(1914-2006)・早坂文雄(1914-55)とは中学の同級生で、共に音楽修行に励んだ仲だった。

さて、解説もジャケットも、あくまで楽しみの「何分の一か」であり、大部分の楽しみは音楽そのものを聴くことにある。配信時代が到来し、音楽は純粋に音楽だけで聴かれることになるのだろうか。少なくともクラシック音楽に関しては、PV が付随することはなさそうである。しかし、音楽を補うという意味ではなしに、音楽に観念ないし視覚的なものが付随してレコードのような「形」をとるのも楽しいのではないかと思う。単に保守的心性からくる感慨に過ぎないのだろうとは思うのだが。

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